uratamahime1異性は未だに自分にとって謎だが、それでも戸川純の表現は女性の根源的な姿を映し出しているような気がする。怖いもの見たさ、と云うか、自分が女性の表現を見たり、聞いたりするのはそういう不純な動機が多くを占めていて、純粋にその作品を鑑賞する事はほぼ無いのではないかとさえ思う。実際に、さほど異性を知らない自分は、芸術作品を通して異性の心を知ろうとしてきたような気がする。

戸川純が、そういう用途として適切な存在なのかは分からない。もしかしたら、こちらの一方的な思い込みで、「女性はこうあって欲しい」という男の「押し付け」が偶像化され、商品化された存在が彼女なのかもしれない。いや、恐らくきっと、そうなのだ。戸川純の個性は、全てが演技によって構成されていて、彼女の本当の性質は完全に覆い隠されて、見えなくなってしまっている。かろうじて窺い知れるのは、演じ切ろうとする彼女の健気さだけだ。彼女の言葉を借りれば「怒涛の恋愛」、相手の声を聞くだけで失神するような恋が有るのだと、彼女は云う。本当だろうか?そう聞けば、きっと「もちろん、ありますよ。」と真剣な面持ちで、答えてくれそうな気はするが…。実は彼女の歌は、そういう物があって欲しいと願う、男の願望の鏡みたいなものかもしれない。

「パンク蛹化の女」は、彼女の1stソロアルバム『玉姫様』(1984年)に収録された「蛹化の女」がオリジナルで、パッヘルベルのカノンに詞を当てたものだ。詞のイメージと曲調とが非常にマッチした、幻想的で美しい佳曲である。これはこれで何の不足も無い完成度を持つものだが、それをわざわざパンクバージョンに仕立てたのは、そもそもどういう考えがあっての事なのか?これは以前からの疑問であったのだが、どうもパンクバージョンの方も『玉姫様』以前から存在していたようで、コンセプト云々というより、ライブを盛り上げるため、当時のメンバーが面白がって作ったものであるらしいのだ。(今でこそ珍しくないが、叙情的な曲を激しいバージョンで再アレンジする手法は当時からも見られた。RCサクセション「上を向いて歩こう」(1979年)、スターリン「仰げば尊し」(1984年)、有頂天「心の旅」(1985年)、等。なお、「パンク蛹化の女」自体は戸川純とヤプーズ名義で『裏玉姫』(1984年)に初収録。)そして、戸川純自身もパンクというより、ピストルズに強い関心を持っていた。

ともあれ、二つの両極端なバージョンは、図らずも「蝉」のメタファーになっている。オリジナル版は、閉じこもるような幼虫の時期の歌であり、パンク版は成虫となり後先の知れない断末魔の叫び。ちなみに、歌詞に「蝉の蛹が…」と歌われているが、実は蝉は蛹の時期は無い(幼虫からすぐ成虫に変態する)。ただ後述するが、やはり蛹の停止したイメージが、その時、彼女が強く求めていたのだと思う。

 月光の白き林で
 木の根ほればせみの蛹のいくつも出て来し
 ああ

 それはあなたを思い過ぎて
 変わり果てた私の姿
 月光も凍てつく森で
 樹液すするあたしは虫の女

 いつの間にかあなたが
 私に気付く頃
 飴色の腹持つ
 虫と化した娘は
 不思議な草に寄生され
 飴色の背中に悲しみのくきが伸びる

1794340引用は歌詞カードで無く、彼女のエッセイ集(『樹液すする、私は虫の女』勁文社)からで、ここではタイトルも「虫の女」となっている。エッセイ集には、この歌詞が書かれた頃の背景も書かれていて、興味深い。

「ある時期、つらいことが、あった。ので、さあこれから傷心の日々が続くと思ったのだが、急に忙しくなって、私は例の悲しみを悲しむヒマもなく、スイ眠時間四~五時間で、モー烈に働いた。仕事柄、精神的、肉体的にも、モーターはまわりっぱなしで、オーバーヒート気味の中、やっぱり例の悲しみは悲しかった。」

悲しむ時間もない中、彼女は苦しみ、仕事が終わったら引退しよう、とまで思い詰めるような生活を送っていた。「蛹化の女」が書かれたのは、そんな時らしいのである。「ほとんど頭を使っていなかった。三十二ひく七の計算もできない程疲れていた頃で、この二つ(※「蛹化の女」と「諦念プシガンガ」を指す)は自動書記みたいなものだ」。また、詞自体については「深い想いと、目もくらむ様な永い時間があったら、私は蛹になる他に変化はない、と思った。死に酷似しつつ、なお生きている……」「死もひとつの、事件だから、死では、いけなかったんだ」。

深い悲しみを抱きながら、静かに日々を送るうち、「悲しみのくきが伸びて」、おそらく冬虫夏草の事だから、この幼虫は蝉とは別の、異形のものになってしまうのだろう。ただ、戸川自身はこの結末について、ネガティブな事を歌ったつもりは無く、これは「これでハッピーエンド」と述べている。恐らく、静かに悲しみを抱き続けることもまた、愛を全うする形であるとしているのかもしれない。思い過ぎて、思うことを止めることは誰にもできないのだ。その、さよならが言えずに暴走する愛は、彼女の詞の全体的なテーマとして、幾度か浮上する。(「怒涛の恋愛」「さよならをおしえて」「好き好き大好き」等。)

永遠の蛹がハッピーエンドとしたら、成虫の蝉は何だろうか。それこそ、「パンク蛹化の女」を歌う戸川純そのものではないか。悲しみを悲しむことができず、叫ぶことでしか存在し得ないもの。幼き頃とは似ても似つかぬ異形の姿に変態し、泡沫のように束の間の生を終えてしまう。成虫になどなるものじゃない。自分は音楽を聴いて感動しても、涙まで流すことは滅多に無く、クラシックやジャズで泣いたことは未だ無いし、ビートルズやピストルズで泣いたことも無い。そもそも音楽自体の評価と流す涙は無関係にあるとさえ思っている。ただ、他でもないこの「パンク蛹化の女」では、彼女に神がかり的な気高さを感じ、泣かされてしまったことが何度かある(特に、ここに挙げた1986年の厚生年金会館バージョンを観て欲しい)。それは実は、彼女の歌の本質がニューウェーブなどではなく、ソウル・ミュージックだからじゃないかと思っている。アメリカ南部のスラムがオーティス・レディングを生んで、渋谷のナイロン100%が戸川純を生んで…、爛熟の1980年代の日本で、借り物でない「魂の叫び」を求めたら、戸川純は決して外せないんじゃないだろうか。


4862380824もっとも、彼女の不自然な、演劇臭の濃い振る舞いから、「ソウル」と対極のものを見る向きもあるだろうし、当時から虚実ない交ぜのトリックスターと捉えられることもあった。確かに、実際の戸川純は「見たまま」の人では決して無いようだ。ここに、デビュー前の彼女を知る人の、興味深い証言がある。今はコメンテーターとして有名な精神科医で、戸川と同じ時代の空気を吸っていた香山リカの著書(『ポケットは80年代がいっぱい』バジリコ)によると、まだ渋谷ナイロンの客の一人に過ぎなかった頃の戸川純は「とても明るくかわいらしく」、かつ「流行りの"クリスタル女子大生"のような女性」であり、香山は「本当の戸川さんは明るく常識的な人で、ゲルニカ(※戸川のデビューバンド)はきっと自己演出なのだ」と見ていた。ところが戸川は結局、そのスタイルを90年代になっても21世紀になっても崩すことは無かった。それなら、そのスタイルが素顔に近いようにも思えるが、飽くまで香山は、人に期待を今さら裏切れないと感じる、彼女のまじめさがスタイルを維持させたのであり、「実は私はいまでも、いわゆる"不思議ちゃん"の戸川さんはやっぱり演出だと思っている。」として、「ずっと期待通りの自分であり続けた戸川さんのまじめさを理解し、ねぎらってあげられるような人に出会い、本当に幸せになってもらいたい」と自分の見解を疑う事なく結んでいる。(しかし、この香山の絶対的な自信はどこから来るのか?ただ、精神科医としてでなく、どこか女性の勘のような見解だから、逆に核心を得ているようでもある。)

最後の「幸せになって」云々は少し唐突に思われるかもしれないが、この本では触れられていないが、戸川純は1995年に所属事務所とのトラブルから自殺未遂を起こしていて(蛇足になるが、妹の戸川京子も2002年に自殺している。自らの病気を苦にしていたとされるが、遺書は見つかっていない。)、それ以来、彼女も目立った活動はしていない。ただ、このように俯瞰して見ると、彼女の本来の性格が、見かけの「いわゆる暗い戸川純」と相反するのか、それとも幾分近い関係があるのか、外側から見る限りでは全くどちらとも言えず、何だか、仮面をつけているうち、自分の素顔が分からなくなる寓話を思い出してしまう。

もう一度、話を蝉のメタファーに戻せば、幼虫の数年間も、成虫の数日間も、(虚構であるが)蛹の永遠も、みな蝉の一面に過ぎず、それだけでは素顔と云い難い。しかし、見る者(他者)は自分が見たい一面、自己投影みたいなものだけを切り取って、蝉の本質を知ったとしてしまう。都合の悪い面は捨てられて、コミュニケーションは一方向で途切れる。そして、そこに異性にまつわる悲劇のすべてがあるのかもしれない。