peace人生の全体を喜劇と捉えるか、悲劇と捉えるか。結構、人によっては分かれるようだ。

徳川家康は「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し」と言ったそうだが、これは死に際だから言えるのであって、少年期にこれを聞いてもうんざりする話だろう。芥川龍之介などは「人生は狂人の主催に成ったオリムピック大会に似たものである」、もうここまで来れば、後は死ぬしかない。少なくとも、明日も生きようといている我々が、そこまで思い詰める事はできないものだ。

どちらかと言えば虚無的な考えを持つ自分は、人生は不条理な喜劇だと思う。まず、現実は思想に裏付けられていない(おそらく科学的にも裏付けられていないだろう)。不条理とする所以である。喜劇としているのは、結局、生そのものが喜びを基調としているからであって、悲しみを志向し、悲しみに留まろうとする者が少ないからである。人間は、どんな悲しいことに遭遇しても、悲しみ続けることができない。どんな大切なものを無くしても、どんな愛する人との別れも乗り越えなければ、生き続けることができない。

今、劇作家として活躍しているケラリーノ・サンドロヴィッチが、「ケラ」として1980年代に率いていたバンド「有頂天」のメジャーデビュー・シングルが、今回紹介する「BYE-BYE」という曲だった。ちなみに、同日発売されたアルバム『ピース』の1曲めでもあり、華々しくあるべきメジャーデビューの最初に、別れの曲を持ってきたのは天の邪鬼なケラの面目躍如といったところだ。(もっとも、有頂天解散コンサートを収めたラストアルバム『FIN』最後の曲も「BYE-BYE」であるのだが。)『ピース』のコンセプトにしても「終末感」であり、後のケラ自身のコメントによれば「メジャー・デビューに際して、希望はあまり持てず、ネガティブにこもりがちだった」という背景が、かなり影響したのかもしれない。ただ、そうしたヘヴィさの上っ面を、妙に明るくポップな曲調で塗してしまうのは、もはや、ひねくれ者の枠で片付けられる領域では無いだろう。おそらくケラの正体は、全ての価値を疑おうとする、徹底した懐疑主義者なのである。

暴力的なハードコア・パンク全盛の時代に、「和む」という言葉から取った「ナゴムレコード」というレーベルを発足させたり(「筋肉少女帯」「人生(電気グルーヴの前身)」「たま」等、独特な個性を持ったバンドを輩出した。)、歌謡曲がダサいと言われだした頃に秋元康プロデュースの歌謡曲アルバム『原色』を発表したり、尾崎豊が「この支配からの卒業」などと歌っている時代に「学校へ行こう」と歌ってみせる人だ。さらに、彼の歌詞には「…ない」と否定する言葉が多い。カタカナの造語も多く、全体として意味不明な詞もまた多い。「僕らはみんな意味が無い」という曲さえあり、固定概念を壊そうとしばしば試みる。残酷なグリム童話や、「ずいずいずっころばし」みたいな童謡のように、現代の価値基準に捉われない子供の夢を、そのまま映したような詞世界と言える。

 寒くもないし 暗くもない ただの広場で
 おざなりの涙いらない こんなお別れ

  手も足も尻も
  毛も首も胸も
  バラバラ…

人との別れは、いつか必ずやって来る。それがどんなに好きな人であっても。明日か、50年先かは分からないが必ずやってくる。そして、生別死別など、いろんな形の別れがある。自然は別れのお膳立てなどしてくれないから、つらいはずの別れが、明るく、風も吹かない快晴の下だったりする。

 BYE-BYE ボクらの キミとボクとが
           出会った何か
 BYE-BYE ボクらの キミとボクとが
            作った何か
 BYE-BYE ボクらの キミとボクとが
            思った何か
 BYE-BYE ボクらの キミとボクとが
            行ったとこ

別れで失うのは、その人だけではない。その人との思い出も同時に失う。その人と関わったこと、話したこと、行った場所についても、もはや二人で語り合うことができない。そのうち、だんだん記憶が薄れ始める。

 フィナーレに こんなヘンな空気って かなりおしゃれ
 宙ぶらりんが妙にうれしい 晴れたおしまい

この、恋人との別れのシチュエーションが、ケラの実体験にあったものかは分からない。ただ1986年、飛ぶ鳥を落とす勢いだったように見えた有頂天のケラに、なぜ「別れ」や「終末」のようなヘヴィなイメージに彼が捉えられたのか。前述のメジャーデビューへの不安の他に、もう一つ大きなものとして考えられるのは、彼の父の発病である。ジャズマンだった父親への彼の敬愛の念は強く、それは彼の著書『私戯曲』の前書きでも触れられているので、少し紹介しておきたい。

shigikyoku「父、小林巽(たつみ)は昭和十二年二月十二日に生まれ、生涯の前三分の二をジャズマンとして、後三分の一をジャズをやったり父親をやったりして、昭和六十三年八月二十八日にその生涯の幕を閉じました。(中略)
 僕等は長い間父子二人だけの生活を続けていて、昭和六十年にはすでに『余命わずか』との言葉を担当医から聞かされていました。それ以来、父の生き様を自分のそれと無意識のうちに比較するようになり、その事が自分の行った様々な活動の起爆力となったような気がします。感謝の気持ちでいっぱいです。」

上記の、昭和六十年(1985年)の余命宣告は、ケラに相当のショックを与えたようで、翌1986年にソロで発表された曲「展開図」は、当時すでにただ一人の肉親だった父に捧げられたものだった。前述した通り、その気分はアルバム『ピース』にも色濃く反映される。冒頭の「BYE-BYE」の他、神経症そのものの歌詞「サングラスにプールを」、操ろうとする者や操られる自身を笑う「マリオネットタウンでそっくりショー」、アジアにおける日本のドン詰まり的終末を見越した「フューチュラ」…ちなみに、この曲は「はい、おしまいだよ。メリーさんを探してごらん。」というケラのぶっきらぼうな一言とともにブチッと末尾が切られてしまい、「感傷的な終わり」を徹底的に拒否した姿勢を貫徹させている。

この、ケラの科白「メリーさんを探してごらん。」の意味は、『ピース』のエンディング曲としてクレジットされていながら未収録の曲、「カラフルメリー」を指している。うろ覚えだが、当時、ケラはインタビューで、この曲のことを知りたかったら、ライブに足を運んで聴きに来てくれという意味のことを言っていたと思う。いわば、作品世界と現実を結ぶような存在なのだ。この「カラフルメリー」はケラが創造したキャラクターであり、その後、父の死にインスパイアされた戯曲「カラフルメリィでオハヨ」、有頂天のアルバム「カラフルメリィが降った街」で形を変えながら登場することになる。彼女のキャラクターは謎めいており、つかみづらいが、共通しているのは死や滅亡の日に現れる、堕天使であるということだろうか。

ohayoこの小文を書くために、今一度、戯曲「カラフルメリィでオハヨ」を見直してみた。現在、自分の手にあるのは前述の著書『私戯曲』に収録された初演時の戯曲と、DVD化された再々演版『カラフルメリィでオハヨ '97』である。自分は劇作家としてのケラリーノ・サンドロヴィッチにさほど詳しくないが、彼は主に不条理喜劇を得意にしており(少年時、既にチャップリンやマルクス兄弟のフィルムに親しみ、高校在学時も演劇部に所属していて元々の素地は十分にあった。)、本作はこれまで四演されている、彼の代表作と言えるものだろう。あらすじは、ボケてしまった主人公・みのすけ老人がその息子夫婦・孫娘と織りなす家庭劇と、みのすけ老人の幻覚内存在である、みのすけ少年の病院脱出劇が舞台で同時進行する。これもベースは喜劇である。そして重要なのは、この台本を執筆したのが、父の看病の最中であり、病室にて文字通り父に付き添って書くという特殊な状況下にあったという事実だ。その頃の父親の病状は相当悪化しており、薬の影響から意識が低下して、もはや会話することも難しくなっていたようだ。(この辺りの経緯は『私戯曲』に収められたケラの日記に詳しい。)

この戯曲は、再演の際、かなり書き直されており、そのため初演戯曲と'97年版とでは大分印象が異なる。一番大きな違いは「カラフルメリィ」が役として登場しなくなったことだろう。初演では、みのすけ老人の死ぬ間際にメリィが現れて、彼の死がいよいよであることをぶっきらぼうに告げる。その後、みのすけ老人は七色の光に包まれて天に召されて幕切れ。'97年版では、カラフルメリィはみのすけ老人の不確かな、白昼夢の記憶として存在を語られるだけで、みのすけ老人の死に際しても出てくることはない。みのすけ老人は死によって「ガーファンクル」に生まれ変わり、ミュージカル仕立てで「ぼくたちは百年後はもういない~いたとしてもかなりヤバい~いつか死ぬ、きっと死ぬ♪人間の死亡率100%~♪」とオールキャストが合唱するなか、楽しく幕切れとなる。こう書くとばかばかしいようだが、自分にとってはこちらの方が面白いと思った。

初演戯曲からここまで台本が書き替えられたのは、ケラ自身、「実は相当恥ずかしい芝居」という認識が大きく影響している。『私戯曲』の前書きの別の個所では「人は誰でも死ぬのであり、二十五歳にもなれば親の死を体験するのはさほど珍しい事ではありません。僕はたまたまこんなモノを書き、そして(そのナルシスティックな内容にも関わらず)発表する機会に恵まれただけです。」と述べられており、再演時に「私」を感じさせる個所が少なくなったのは、そうした意識の表れであろう。父を亡くした悲しみを十数年変わらず表現することは、決してリアルでないということだろうか。'97年版は、悲しみを乗り越えた彼の、苦しみの跡を実は示している。そういう意味では、彼の誠実さを感じさせる作品であり、そうであるからこそ、この戯曲は依然として「私戯曲」であると言えるのだ。

また、この戯曲から受け取られるメッセージは、人が生きる物語は決してひとつでないということ。いくつもの物語が、その人を接点としていながら、交錯もせず、ばらばらに存在することがあるということ。人生はたくさんの物語で構成されている。そういう意味では、別れも死も単なるリセットに過ぎないのだ。いくつもの喜劇や悲劇が入れ替わり、時に人は主役となり、ある時は脇役となり、意味もまたその劇の中でしか価値がない。痴呆となり、愛する息子の顔を判別できなくなった老人も、夢の中では全く別の新しい生を生きているということだ。悲劇の仏壇返し!自分はここに、本質的な喜劇の恐るべき強さ、一人の懐疑主義者の勝利を見る。

uchoten_ncP.S.
『ピース』未収録の「カラフルメリィ」だが、この曲は後年、有頂天の裏ベストというべき『ベジタブル』にライブバージョンが初収録され、さらにインディーズ時代の編集版『ナゴムコレクション』では初めて歌詞添えられた上で再録されている。こちらの歌詞もすごく良いので紹介しておこう。一見無意味な歌詞だが、カラフルメリィのキャラクターは、もしかしたら、彼の求める母性がそこに投影されているのかもしれない。

 ポピュラリティ 突拍子のために
 捨てられて 耳たぶがかゆい
 ポピュラリティ 突拍子のために
 捨てられた カラフルメリィ
 ポピュラリティ 突拍子のために
 捨てられて 耳たぶがかゆい
 ポピュラリティ 突拍子のために
 捨てられた カラフルメリィ

 絵空なぞりのカラフルメリィ
 絵空なぞりのカラフルメリィ

 ポピュラリティ 良妻賢母は
 捨てられて のど仏割れた
 ポピュラリティ 良妻賢母は
 捨てられた カラフルメリィ
 ポピュラリティ 良妻賢母は
 捨てられて のど仏割れた
 ポピュラリティ 良妻賢母は
 捨てられた カラフルメリィ

 絵空なぞりのカラフルメリィ
 絵空なぞりのカラフルメリィ