_SL500_AA300_ ロックで「恋愛」についての歌は数多い。それは様々なヴァリエーションを持っているが、失恋にしろ、得恋にしろ、恋愛そのものは素晴らしいものであるという絶対的な前提は揺るがない。しばしば「愛がすべて」とさえ歌われる。そもそも若い人のための音楽だから、ロックは宿命的に恋愛至上主義なのだ。

 恋愛至上主義は、恋愛の暗い、残酷な一面に気づかないかのように、その猛獣を野放しにする。大正十三年に、芥川龍之介は「或恋愛小説」という小品を書いているが、恋愛を讃える者は「万一失恋でもした日には必ず莫迦莫迦しい自己犠牲をするか、さもなければもっと莫迦莫迦しい復讐的精神を発揮しますよ。しかもそれを当事者自身は何か英雄的行為のようにうぬ惚れ切ってするのですからね。」と記している。まさしく、大正時代は恋愛至上主義が嵐のように吹き荒れ、一つの帰結を見た時代だった。有島武郎は人妻との不倫の涯、大正十二年六月に心中する。自由恋愛を謳った大杉栄は神近市子、伊藤野枝との愛の修羅場を潜り抜けたと見えたが、大正十二年九月、震災のどさくさに野枝と共に虐殺されている。芥川自身もまた、複数女性との浮気の始末がようやく一段落した頃で、「自由恋愛」の欺瞞を骨の髄まで感じていたことだろう。「或恋愛小説」は、人妻に恋しているように見えていた男が、実は人妻の所有していたピアノに恋着していたという落ちの話である。

 もっとも、「恋愛」の毒について、大正の知識人たる芥川に、もともと免疫が無かったという事は無いだろう。何故なら、少なくとも漱石の存在があるからだ。漱石は恋愛のエゴイズムを徹底的に暴き出した作家でなかったか?それにも関わらず、近代以後も恋愛に苦しむ人は後を絶たなかったのである。「物語」としての恋愛はすっかり終わってしまったのに、そして、平成の我々は瓦解した物語しか持ち得ないのに、悪あがきで恋愛至上主義を偽装し続けている。

 もう好きになるのはやめたんだ友達
 もう好きになるのはしないんだ
 BABYアイラブユー
 なああんたがた帰れるようにするから
 帰るんだな
 BABYアイラブユー
 おれに会いにきてもだめなんだ
 がっかりするだけなんだ友達
 おれに会いにきてもむだなんだ
 がっかりしたろ
 ごめんな
 BABYアイラブユー

 宮沢正一は'80年代初頭にフォークのスタイルで出発し、’82年、インダストリアルな音響を放つ改造ギターをバックに呻き声のようなヴォイスを乗せた問題作『人中間』を、スターリン率いる遠藤みちろう主催の自主レーベル「ポリティカル」から発表する。その1曲目がこの「抱いて」だ。上記の歌詞は分かり易く改行を入れているが、インナー・スリーブでは全文ひとつながりの物である。そして、宮沢の声も終始抑揚は無く、感情の発露も無く、黄泉の国から響くようなエコーに包まれたまま消えてゆく。

 この徹底した人間への忌避、恋愛への懐疑は何に由来するものだろう?少なくとも、彼には「会いに来る人」が居るようだ。だが、彼は愛を受け入れず、相手に帰ることを促す。不思議な事に、彼は「さよなら」とは云わない。その代わり、「BABYアイラブユー」を別離の挨拶のように繰り返す。「好きになるのはやめた」と云ったにも関わらず?彼に取って愛情は、さよならをする事だけなのだろう。

 後のインタビュー(「ラビッツ新聞 特大号」’84年)で、宮沢は『人中間』について「あれは老人の歌なんだ。死んで行く人の歌なんだ。」と語っている。確かに、それで一応の理解はできる。相手を諭すように拒む彼は、恋愛について、不能になってしまった人なのだ。恋愛の暴虐な本質を知り、知識と引き換えに愛を恐れ、性欲を失った老人。「抱いて」という求めに、謝罪を繰り返すしかなく、アイラブユーという言葉は抜け殻のようだ。「あの頃は老いて行くことだけを感じてたんだ。だんだん、いろんなものが、俺の中から抜けてって死んでしまうっていう、そういう風に感じてたんだ。だから、あれの最後は、夏の塩だらけな地面で、ひとりかわいたまま終わってる。」(同前)

 宮沢正一の歌は、恋愛の嘘を暴く。恋愛への扉は、誰にでも開かれている訳ではない。一部の人間がでっち上げた幻想だ。ただ愛を失った老人は、その嘘に気づくことができる。では、他には?他にも、存在そのものが忌み嫌われる者たちがいる。それは、病だ。以下、宮沢正一の名曲「ノイローゼ」の歌詞を掲げよう。(※筆者の聞き取りによる為、意味不明な箇所がある。)

 おれの名前はノイローゼ 脳みそが複雑
 あっちの部屋からこっちへ 転がる歯車

 おれの名前は神経症 何触っても吐き気がする
 かなみぎりぎり ねじとねじ 誰かあたいに注射して

 おれの名前は肥大症 ビラビラ肥大症
 愛にも金にも肉にも 興味ない

 おれはドアを閉めて 暗くした
 消えるのだ 居ないのだ Oh…

 おれに触るな ビリビリするよ
 電気人間だよ Oh…

 おれの名前はパラノイア
 八百匹あまりの眼を飼っている

 鐘が鳴ります きんこんかん
 鐘が鳴る きんこんかん

_SL500_AA300_ 「ノイローゼ」は古くから歌われていたらしく、フォーク時代の未発表音源を含んだCD『キリストは馬小屋で生まれた』にも録音が残されている。ギターの低弦打ちが印象的で、声は優しいものの、幾分かの呪詛を含むようにも聞こえる。病気を擬人化している歌詞が面白い。老人もそうだが、病人も、恋愛から遠く離れた場所に居る点では同じだ。「ビラビラ肥大症」が「愛にも金にも肉にも、興味ない」と、のたまえば、「電気人間」は「おれに触るな」と、先の「抱いて」の歌詞のように相手を忌避する。やがて、病たちは静謐に逃げ込み、ドアを閉めて、暗い中に消えていこうとする。自分が祝福されない存在だと知っているからか。…

 しかし、この自己否定の姿に清々しさを感じ、宮沢正一の歌にある種の癒しを感じるのは、私だけだろうか。どういう因果でか、優しい心を持ってしまった「病」は、自ら消えて無くなるのを望んでいる。もしも世界と折り合いがつかないのであれば、多分そうするしかない。

 その後の宮沢は、改造ギターの弾き語りというスタイルをあっさり放棄し、’82年秋、ロック・バンド「ザ・ラビッツ」を結成。歌詞はより攻撃的になり、「WINTER SONG」(「おまえらのパーティにいくのはもううんざりだ/おまえらの物語に登場するのはもううんざりだ」というフレーズが印象的)等の名曲を残すが、’84年にはそのラビッツも解散。宮沢は音楽活動を停止し、郷里に帰る。その後は実業の世界に転身し、音楽に関わる事はもはや無いようだ。

 「最近、夏目漱石というのの小説を読んだが、こんなので、なんで金がかせげたのか、びっくりした。」(’83年10月1日発行『ING,O!』No.2 宮沢寄稿の文から抜粋)

 果して宮沢は、あまりに先へ進み過ぎてしまったのか。