清志郎のラブソングは、他にもいい曲がいっぱいあるけれど、あえてこの曲を紹介したい。ただ、RCが好きな人でも、この曲を知らないという人は結構いるかもしれない。細かいことを言えば、これはRC名義で音源が発表されたことはなく、1998年に「忌野清志郎 Little Screaming Revue」名義で発表された「Rainbow Cafe」で初めて収録されている。それなのに、なぜ僕がRC名義にこだわるかと言うと、やっぱり1979年のRC再デビュー期、10/27渋谷屋根裏でライブ演奏された時の未発表音源を聴いてしまったからで、リズムが効いたそのテイクが、すっかり心をとらえてしまい、自分の中でもはや掛け替えがなくなっているからだ。

 1979年のRCは、主な活動の場だった屋根裏で人気が出始めたとはいえ、世間的にはまったく認知されていないロートル・バンドだった(清志郎は当時28歳)。デビュー期のフォーク・バンドスタイルを払拭し、しばらくの活動停止期を経、前年の春日博文の加入を契機としてロック・バンドとしての下地を固める。7/21には3年8ヶ月振りとなるシングル「ステップ!」を発表、明るい兆しが見えてきたものの、まだ先行きは不透明であり、演奏される曲もアレンジに試行錯誤が垣間見え、しかしまたそれが故に、この頃のRCは未完成の魅力に溢れていた。セットリストを見ると、ハードな曲「ロックン・ロール・ショー」や、ノリノリな「雨あがりの夜空に」の間に、この「弱いぼくだから」が当時の定番曲として可愛く顔を見せている。当時のRCは、まだ「いかにもロック」なレパートリーが少なかったせいか、昔のフォーク時代の曲をアレンジし直して演奏することが多かったようだ。(例えば「お墓」や「キミかわいいね」等もリズムを強化したアレンジで演奏されていた。)

 「弱いぼくだから」がいつ出来たのか、正確には分からない。ただ、1973年には渋谷ジァンジァンで演奏された音源が残っているから、少なくともフォーク時代には遡れるのだろう。(「Raibow Cafe」の四半世紀前だ。)しかし、古さは感じさせない。歌詞に時代を感じさせるものがないし、普遍的な”愛”がテーマだから(とはいえ、ありふれたものではない)、清志郎も折に触れて歌ってきたのだと思う。

 弱いぼくだから 君が必要なのさ
 弱いぼくだから 君が大切なのさ
 一人じゃダメなのさ 君でなけりゃ

 君の前では素直になれる
 君の前では悲しい顔もできるのさ

 特に技巧が目を引く歌詞ではないし、歌っている内容も文字通り「弱いぼく」、実に頼りなさげな男の姿が目に浮かんでくる。いや、頼りないどころではない。この後も「君の胸に 顔をうずめて/泣きたいのさ とてもこわいのさ」といった調子で、女に甘える様子は子供のようでさえある。しかし、それでは単に、これが特別に甘えん坊で、わがままな男によるラブソングなのかと言えば、それだけではない気がする。飾り気のない言葉だが、あの清志郎の、リズム感あふれるヴォイスで歌われると、実はこれが男の本音なんだ、と愛の本質を腹の底から打ち明けてくれたかのようで、僕の心は揺さぶられるのだ。

 「飾らないラブ・ソングを別に意識してるわけじゃないんだけどねー。飾れないと言うか、あんまり語彙がないから。別に飾ったり気取ったりしてもしょうがないし。」
 「歌詞なんかにとらわれていると、ロクなことはないと思うな、僕は。」
 「その言葉の持ってるリズム感、そういうことの方が全然大事なんだよね。ヴォーカリストには。言葉1個1個のリズムね。」
 「”日本語はロックにならない。英語じゃなきゃダメだ”って言い切ってた奴らがいたじゃん。そんなことないのね。日本語にだってリズムがあるし、ロックになるんだ。」

 RCサクセションのファンブック「愛しあってるかい」から、清志郎語録を幾つかひろってみた。(なお、今回の歌詞も、この本から引用している。「Rainbow Cafe」掲載の歌詞と若干異なるのはそのため。)これから分かることは、清志郎の「飾り気のなさ」は、自然に発したものであり、大事にしているのはむしろ「言葉のリズム感」であるということだ。だから「弱いぼく」はまるで子供のように、パッションを秘めて弾んでいる。さだまさしの「関白宣言」(1979年)という歌は、亭主関白に姿を借りて、結局、女にどうしようもなく甘えているのだけれど、両者は似ているようでいて、全く異なるものであることは述べるまでもないと思う。

 ロックの歌詞は、印刷された歌詞カードを目で追うだけでは味わいきれない。文学的な技巧を凝らさないもの、誰にでも分かる言葉で書かれたそれは、単に稚拙な詞と見られたりもする。単純なフレーズをただ繰り返すだけのものもある。しかし、難解な言説を弄した者だけが「今」を切り取ることができるのか?ある人は「清志郎の思想は高校生レベルだ」と笑ったが、それでは思想とはアカデミズムから生まれたものしか価値がないのか?矢野顕子は彼が亡くなった時、「日本の偉大な良心が無くなったということです。」と言った。良心というのは、瞬間的に反応する、血肉化された思想なのだ。

 清志郎がリスペクトしていたオーティス・レディングも、あれだけパワフルでありながら、ラブソングを歌うときは切ない気持ちで一杯にさせてくれる。弱い男を強くする、女の存在は素晴らしい。この「弱いぼくだから」は、後年、SMAPの木村拓哉がカバーしている(アルバム『SMAP 011 ス』に収録。1997年)が、こちらも凄くサマになっているのでぜひ聴いて欲しい。(ここまで書いてようやく気付いたが、もしかすると、キムタク・バージョンの方がずっと世間的には知られているのかもしれない。)

 1979年、清志郎はライブでこの曲を演奏するとき「リズム&ブルース、ミディアム・テンポの最高傑作と言われています。」と、RCファン以外は知らないであろう、この曲を自信たっぷりに紹介していた。(もっとも、「君が僕を知ってる」も別のライブで同じように紹介してはいたが。)まさしく、まさしくその通り!知らない人は全く知らないけれど、この曲を知っている人はみな、傑作だと信じて疑わない。

追記:
 清志郎の歌詞はその時代の色があり、3期くらいに分かれる。

 1. 70年代フォーク時代の「ふてくされ」期
  代表曲:「ぼくの好きな先生」「キミかわいいね」「九月になったのに」
 2. 80年代ブレイク後の「バリバリだぜ」期
  代表曲:「ステップ!」「キモちE」「つ・き・あ・い・た・い」
 3. 90年代RC解散前後からの「ノーティボーイ」期
代表曲:「NAUGHTY BOY」「JUMP」「誇り高く生きよう」」

 この「弱いぼくだから」が作られた初期の時代は彼の特性がストレートに出ており、その分、見ためには振り幅が激しく、混沌としている。しかし、詩の魅力から言えばこの時代が黄金期だ。70年代、すぐに売れることが無く、蟄伏の時代を過ごしたことは彼の才能を蕩尽させることなく、豊かな稔りをもたらすための恵みの時期だったのかもしれない。